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目食耳視

こんにちわ
疲れました うん いやブログが じゃなくてですね
自転車10分とはいえそこそこ長い坂道を通る道を2往復
んで+結構歩いた
だぁ~う


人は 同じ人と長く付き合っていると 自然と一つの事を考える

この人は 死なないのではないか 不死ではないとしても

根拠などない ただ自分の近く ましてや目の前で死ぬ事はない

そう考える 家族は勿論 友達 恋人 誰か見知った人

何故そう考えるに至るのか 想像できるのは二つ

一つ 単純にその人を失う恐れが死という感覚を鈍らせている

二つ その人が動かなくなる事が信じられない

一つ目に関してはそのままの意味だ

その人を失う事が怖くて仕方が無い だからこそ死を頭から消し去っている

しかしこの場合 いずれ来る事を度々思い出すことになる

そしてその度恐れ また消し去る その堂々巡りだ

二つ目 一つ目とは似て非なるモノだ

自分はその人の元気な姿を知っている 楽しそうに喋ってる姿を 

笑顔を その人の様々な事を 暖かな手を

そんな人が 動かなくなり 喋らなくなり 冷たくなり

そして 二度と会う事も叶わなくなる

その事が自分の想像のキャパシティを遥かに上回る

想像の範疇を遥かに超えているのだ だからこそ信じられない

だがしかし 有情にも 非情にも

死は世界 万物 森羅万象 場所を 対象を選ばず 均等に訪れる

目を逸らすのは ただの現実逃避でしかない

しかし逃避しても 自分が存在するのは確かに現実なのだ

死からは 決して逃れることは出来ない

悲しくても それが世界のあるべき姿だ

地に生を受け その生を存分に楽しみ そして死を迎える

逃れる事が出来ない しかし恐れていても仕方が無い

死ぬ事に未練も無くなるように 生まれてよかったと思えるように

存分に生を楽しむといい よき思い出を 沢山作るのだ
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まぁ この二つだけじゃないかもですけど

僕に考えられるのはこの二つです 僕は恐らく基本前者 一部後者

少々不謹慎ですが 今回の災害で これを認識した人もいらっしゃるかと

ほんの少し前まで自分の目の前で元気な姿を見せてくれていた人が

今 目の前で冷たくなった 動く事も無くなった

精神が崩壊しかねない事でしょう・・・

目の前で亡くなった人の もう助からない人の名を必死に叫ぶのは

その人の死を信じられない 信じたくない その想いだけが頭を支配し

ただひたすらに生きている事を願うが故だと 僕は思います

中には叫ぶ事も 涙を流すことさえもせず ただ立ち尽くす人もいますが

これはその人の死を受け入れられない まだ現実と向き合えていない か

受け入れたからこそ 何かを決意したか 失意のどん底にいるからこそ何もないのか

そのどれかだと思います 僕は どれになるでしょうねぇ

以上
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コメント

0407

コメントありがとうございます。
一体何をして疲れたんですか?

0408

コメントありがとうございます。
そうだったのですか。
つらそうな坂道ですね。

No title

お疲れ様です。
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